2018年1月31日水曜日

絵を描くということ 絵は爆アド

ども。


世の絵師さんたちは、どうして絵を描いているんでしょうね?


私が絵を描いているのは、最初は暇つぶしのためでした。




学生の頃、授業中にできることって何がありましたか?
そりゃ絵しかないですよね。勉強してるふりもできる。


まあ、本も読んだりしてましたけど普通に怒られました。
(勉強しろ)


だから絵を描いたんです。絵はいいぞ。


才能もいらないし努力もいらない。
目と手があればいい。(足でも)
人種差もなければ、必ず形として残る。


それなのに、自分以外には絶対に生み出せない唯一性がある。


たかだか点と線の集まりに過ぎませんが、
たかだか点と線の集まりに過ぎないからこそ、
簡単で複雑で原始的なんですよね。最高に美しい趣味だと思います。


もちろん彫刻とかも良いです。


音楽も同様に素晴らしいんですけど、アレは刹那的なんですよね。
刹那的だからこそ素晴らしいとも思いますが。


絵は。。。絵は素晴らしいです。時間をいくらかけてもいいですし。


私は自分が何も残せないことを苦痛に感じます。


生物というものは「遺す」ことがすべての目的です。
食欲・性欲・睡眠欲はすべて「遺す」目的のための手段です。


その本能的な欲求を、絵という理性的なもので形作れるとは
なんて素晴らしいことか!


ああもう錯乱しています。


今はもう、絵は暇つぶしの手段から、
私の人生の命題にまで重くのしかかってしまいました。


まあ、だから本音を言うと、
別に私は絵が評価されなくてもなんとも思わないんですよね。


評価されたらそらもちろん嬉しいんですけど
評価されずとも別に苦痛ではありません。


私は絵で「遺す」ことがあくまで目的なので、
他人に認められるかどうかは副次的なものです。


ただし、絵は他人に観測された時点で初めて存在するものだとも思っています。
なので公開はします。


「シュレディンガーの猫」のようですね。


私が脳内で形作ったものを、絵としてたとえアウトプットしたとしても、
他人に認識されなければアウトプットしていないのと同じです。


他者がいて、初めて自己が認識されるのです。


これは絵に限らずすべての物事にいえます。


一人以上の人間に見てもらえればそれでいいです。


あなたも絵を描いてみてください。


下手でも良いです。
私は下手だったときのほうが可能性を感じられてとても楽しかったです。


もし私程度のレベルでも良いなら、テクニックだってなんでも教えます。


あなたも「遺して」ください。


創作物で理性的にものを遺せるのは
人間だけなのですから。


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